808とAphex Twinとレイヴカルチャー

この記事はフィクションです. 記事内に登場する物質名, 地名, 人名はすべて創作であり実在する特定のものと関連付ける意図はありません.

筆者は日本の法律を遵守しています. 多くの幻覚作用を有する物質は日本国内において違法です. 筆者は違法な幻覚剤使用に反対しています. この記事において読者を違法な幻覚剤使用への興味に誘導させる意図は全くありません.

 

 

 

1/14成人の日に久々にアシッドトリップしました(昨年の9月以来なので3ヵ月ぶりくらい)

サイケデリック体験が初めての友人(後輩)とともにALD-52を1枚ずつ摂取. 因みに現時点ではこの国でALD-52は指定薬物ではありません

お互いなんじゃこりゃーと思い思いの体験をしてましたが, 後半Aphex TwinのCollapse EPを聴いた時の体験があまりに凄かったのでレポです. アシッド影響下での音楽の聴こえ方兼アルバムレビューみたいになります

 

昨日ほどAphex Twinを好きでよかったと思ったことは初めてです!!

Syroから知って5年ほど経ちますが, 初めて 「ちゃんと」聴いたんだな...という感情に支配されました.

今回でCollapse EPが一番好きなアルバムになりました. 複雑なブレイクコアっぽい808のビートとアンビエント, くらいにしか思ってなかったのは今までの聴き方で, 階段にすら気づいてなくて, 今その階段を5段くらい上れたんだな, みたいな.その上すら見えた感じでした. シラフだと絶対分からない.今この文を書きながら聴きなおしていますがもうかなりシラフの聴き方に戻っていてすこし悲しいです

このアルバムをチョイスできた自分も嬉しいです. 元々サイケ感かなりあるなあと思っていたので選択できたのかなと. へんにサイケトランスとか聴くより少なくとも今回のセッションにはガチっとハマりました.

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聴き始めるとスピーカーの方で鳴ってるはずなのに, 次第に音が立体的に聴こえてきます. 立体的というのは実際に立体のイメージが湧きます. 808のスネアにディレイがかかると次第に明確な形を取り始めてきたのでもう目を瞑りました.

 

イメージはさらに具体性を増します. 2曲目, 1st 44に差し掛かったあたりでなんか出てきたんですよね...クラゲみたいなやつが (笑)ジオメトリックな, それでいて丸みのある円錐や直方体の大群で構成されたクラゲが音に完全に同期して悠々と動いてました(笑) 808のスネアやキックやハイハットの身体がディレイに呼応し, アシッドのフィルター・レゾナンスの水が取り巻いている!

自分の中では完璧なPVといった感じです. 友人も同じようなタイミングで「音がなんかイメージを取って出てきますね...」と言ってたので似たようなものが見えていたのでしょう. 見えていたことにします. こいつはアルバムの局所でちょいちょい現れて最後までついてきました.

4:30あたりのボーカルのピッチが引き延ばされるところで完全に全てが左側に光の渦となって霧散していく様子が浮かびます, 我を忘れているので自分も引き延ばされます. 感情の渦もピークに達します.

その後, ハイハットとクリックノイズに深いリヴァーブとディレイがかかりつつ音が消えていく一分ほどのパートがあるんですが, ここの意味が完全に分かりましたね. 高まったもうこれも説明不可能な感情をこのパートで放り投げつつストーリーとして完結させる, みたいな. もうわけわからんけどすごいアニメ映画を一本視聴し終わった感覚でした. 友人もほぼ同じようなことを言ってました. 

 

MT1 t29r2では1:00まで若干不安になる太いメロディと攻撃的なビートで, 怖さすら覚えるレベルまで感情が高まったところでの「救い」のメロディが入ります. 

ここが一番今回のサイケ体験で驚くべきところだったんですが陶酔しきった瞬間に音, パターンに全部意味があるように聞こえてきます.

サイケ中の思考回路を書き起こすのは難しいですが, 物事を理屈じゃなく感情で処理してる感じです. といっても頭は冴え渡っていて, 思考の洪水に巻き込まれ, シラフでは不可能な関連付けを行いまくりますが, これは意味があって, 理屈も含めて大なり小なり全てを感情のまとまりに置き換えた後に, 謎の高次元なベン図的関連付けにより結びつけて理解している感じです. 

Collapse EPの複雑怪奇なリズミックビートは正にそれを表してる感じです.

話がそれますが, よくサイケセッション中にサイケマン同士が真剣に訳分らん内容の会話をしたり逆に大笑いしたりします. があれはどういう理屈かというと, 本人は研ぎ澄ました深遠な思考をした結果口走ったことが, 自分の口から発したことによってカスみたいなアウトプットしかできず全くこっちの考えが伝わってないことが分かるので笑ってしまうのです. より真剣に思考しているとそれすら気づかず訳の分からん会話を繰り広げることになり, シラフの人が見たら意味不明です. 映画"ラスベガスをやっつけろ"ではまさにラリパッパ二人組の珍道中でこういうやり取りのオンパレードです.

 

abundance10edit[2 R8's, FZ20m & a 909]では

Give me your hand, my friend
And I will lead you to a land of abundance, joy, and happiness

というサンプルが入るんですがHappiness... Happiness... ha... ha...と繰り返されるんで,

((((ハピネス...))))

という感情に支配されます. これはずるいですね.

 

最後pthex1:45あたりからの繰り返されるシンセからの2:10あたりからBPMが急に変わるパートまででパターンの洪水を浴び, 怖くなるレベルまで感情が高まるあと, 「救い」パートでまた落とされます. もう完全に上質な映画鑑賞レベルで、ウオオオと非常に大きな感情に支配されます.

この最後の曲はビートの渦に放り出されて終わりなのですが, バチバチにキマってるとこの放り出された感じが結構怖いようで, 友人はこれはバッドで終わってるストーリーと表現してました. 僕はいやいやこれはこのあと一曲目に戻ってストーリーが完結する, だからこのジャケットになるんだとか意味不明なことを言ってました. (アシッドで頭がおかしくなってるので)

 

そのあとSyroも聴いたのですが、途中でアシッドが抜けてきたせいか自我のコントロールの感覚というかシラフの思考形態が戻ってきたのを感じたのもあってか, 確かにサイケだけど, どうもCollapse EPの方が音が立体的に聞こえたなあと, 二人で他の曲を流してはまたCollapse EPに戻りほらやっぱり!と繰り返していました(笑)

また, 途中でアシッドっぽい水の音が横あたりからも聴こえるな...と思っていたら三ツ矢サイダーの炭酸のはじける音だったので笑ってしまいました. 普通注意が行くはずもないので聴覚が異常に研ぎ澄まされていたと思います.

 

友人にとってはやはり衝撃的な体験だったと思います. 途中音がスピーカーから鳴っているのか自分の中で鳴っているのか分からなくてちょっと怖くなったとか言ってました.

あと就職がもう決まって, もう多くない時間の前に自分にはまだ何かできることがあるんじゃないか, みたいな焦りを, 流れてた時計の針っぽい音に重ね合わせていたようで, あーサイケあるあるだと(笑)

 

・レイヴカルチャーについて

Collapse EPを聴きはじめた30分程前あたり, セッションとしてはほぼピーク時に僕は「これがレイヴだ...」という考えに支配されていました

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Jefferson Airplane - Somebody to Loveにこういう歌詞が出てきます

Don’t you want somebody to love
Don’t you need somebody to love
Wouldn’t you love somebody to love
You better find somebody to love

愛する人が欲しくないの?

愛する人が必要じゃない?

愛する人を愛してあげたくないの?

あなた、愛せる誰かを見つけた方が良いわよ

 

まあやっぱりこれはアシッドの影響下で起こりうる感情かなと思います.

僕は普段見境なく他人を好きになるわけではありませんが, 非常に「こういう」感情になりました.

ワンナイトラブ三昧だ! というわけではなく(ヒッピームーブメントは実際行きずりで関係を所かまわず持つみたいな人が多かったみたいですが), どちらかというと無償の愛という感じです.

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手塚治虫- ブッダ

手塚治虫の「ブッダ」の輪廻のヒトガタのようなイメージが自分の中に生まれ, これが本来の, 肉体から解放された自分だと思いました. 人々が手を取り合ってダンスしているイメージが浮かび, 彼らから妖精のようなヒトガタが飛び出し踊りながら宙に上っていきます. 

ここで気づきました. 人は完全に分かり合うことは出来ず, それぞれの個人的経験や生き方, 性格, 環境に基づいた葛藤があり, それを真に理解してあげる (=してくれる)ことは無理だと. ですから分からなくてもよい. できることは, 奉仕の精神です. キリスト教でいえば隣人愛ですね. 君がどういう人間かは知らないが, 困っているなら助けてあげよう.

中原中也の「春画狂想」という詩でもよく考えるとそのようなことが書いてありますね.

nakahara.air-nifty.com

愛するものは、死んだのですから、
たしかにそれは、死んだのですから、

もはやどうにも、ならぬのですから、
そのもののために、そのもののために、

奉仕の気持に、ならなきゃあならない。
奉仕の気持に、ならなきゃあならない。

奉仕の気持になりはなったが、
さて格別の、ことも出来ない。

そこで以前(せん)より、本なら熟読。
そこで以前(せん)より、人には丁寧。

テンポ正しき散歩をなして
麦稈真田(ばっかんさなだ)を敬虔(けいけん)に編(あ)み――

まるでこれでは、玩具(おもちゃ)の兵隊、
まるでこれでは、毎日、日曜。 

相手の抱えているものが分からなくても良い. 100%理解していないのに道化を演じて優しくして良いのか? 良いのです. 理解せずとも手を取り合うことはできる. 人種や性別を超えた一個の精神体同士として愛を分かち合うことができます. 外見で判断することが如何に世俗的で矮小な考えだと心から実感しました. 大切なのはその人の精神だし, 人はみな平等に美しい. 

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なんだか文字で書くと結局古臭い自己啓発ブラック企業の社訓みたいになってて悲しいですね...社会生活に適応するにあたっては関係ない思想だと思います.

まあ要はこれがヒッピームーブメントとレイヴカルチャーの根底にありがちな思想をアシッドでなぞっただけなんですが、理屈ではなく心から理解できたのがとてもうれしかったです.